岩手県教育史資料|刊行物|岩手県立総合教育センター

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岩手県教育史資料

岩手県教育史資料の編纂について

センターでは、調査研究事業の一つとして、岩手県の幕政時代以降の教育制度や教育面における県民の歩みを、岩手県所蔵の永久保存用の学事文書や岩手県立図書館所蔵の「岩手教育」などを紐解きながら、岩手県教育史資料としてまとめ、編纂しています。

教育制度施行や県民の教育に関する実情を客観的に理解することを目的として、昭和31年に第1集(幕末・明治初期)を刊行して以来、継続して年次刊行しており、県立図書館、市立図書館、各市町村教育委員会、各市町村教育研究所、県内大学等に配付しています。

なお、諸般の事情により、平成21年の第68集刊行をもって、以後の編集・刊行を当分の間休止します。


第65集−昭和9年− (平成17年度の調査対象)

当時の教育状況の概略

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昭和9年−タイトル  平成17年度の調査対象である昭和9年における岩手県の教育状況について、その概略を紹介します。
昭和9年−スライド1  調査の対象としている昭和9年は、日本が満州事変により満州国を建国し、日中戦争、太平洋戦争へと進む過程の中に位置付きます。
昭和9年−スライド2  当時、陸軍省新聞班は、「国防の本義と其強化の提唱」を発表し、政治・経済、文化、教育のあらゆる面で国防の強化を主張し、公然と政治や教育に関与することを宣言しました。教育界においても、皇国の道に即した教育が進められました。(写真:岩手の教育物語 昭和史をつづる1000人の証言 上巻)
昭和9年−スライド3  昭和9年4月3日、神武天皇祭にあたり、全国の小学校教員の代表35,000人を宮城(きゅうじょう)前に集め、全国小学校教員精神作興(さくこう)大会を開催しました。その際、天皇陛下の御親閲をいただき、次のような勅語を賜りました。(写真:岩手教育 昭9・特集号)
昭和9年−スライド4  その内容は、国運の隆盛は、国民道徳を振興することにある。そのもととなるのは、次代を担う国民を育てる小学校教育であり、小学校教育にあたる者は日夜努力せよというものでした。参加した教員は、小学校教育の重要さに言及した天皇陛下のお言葉に感激し、一層の努力を心に誓いました。(資料:岩手教育 昭9・特集号)
昭和9年−スライド5  各学校では、その勅語や天皇・皇后陛下の御真影を奉安所にたてまつりました。(資料:御真影及び勅語謄本)
昭和9年−スライド6  各学校では軍事訓練が行われ、師範学校は満州事変3周年記念演習に参加しています。
昭和9年−スライド7  花巻中学校では、新校舎落成に伴い、生徒全員が武装して、校旗樹立式を行いました。(写真:岩手近代教育史 第二巻)
昭和9年−スライド8  当時のアルバムには、学校のシンボルである校旗が小銃で造られた三脚により立てられています。(写真:岩手近代教育史 第二巻)
昭和9年−スライド9  岩手県ではじくじくとした長雨が続き、実を結ぶはずの夏に早々と秋風がふき、稲は青立ちのままという大冷害になりました。地図の赤色の地域が減収70%以上の地域、青色の地域が減収50〜70%の地域で、明治39年以来の大凶作となりました。下閉伊郡では85%の減収、上閉伊郡では89%の減収となりました。(図:岩手の教育物語 昭和史をつづる1000人の証言 上巻)
昭和9年−スライド10  凶作による欠食児童は増え続け、岩手県の尋常小学校児童約16万人のうち、およそ12%にあたる2万人が欠食児童となりました。写真は当時の児童の弁当です。麦と粟のご飯、干した山梨の実、大根づけが入ったものは上等な弁当でした。上閉伊郡の教員が子どもたちを救おうとして考え、凶作展覧会に出品した弁当です。(写真:岩手教育 昭9・12月)
昭和9年−スライド11  この様な状況を受け、石黒知事は、凶作に苦しむ県民の救済、そして当時おこった金銭に絡む教育界の不祥事に対して、農村を復興し食料生産を行い、綱紀粛正、非常時意識を醸成するため、県立六原青年道場での修練に力を入れました。
昭和9年−スライド12  六原なくして、岩手の更生はなく、六原なくして岩手の教育なしとして、師範学校、女子師範学校、実業学校などの生徒、そして地域の青年達を集め、研修させました。(写真:岩手近代教育史 第二巻)
昭和9年−スライド13  そのほか、食料を配給したり、県職員は知事から臨時職員まで、皆で俸給を出し合い、欠食児童の医療費に充てたりしました。
昭和9年−スライド14  さらに、本県の女教員会では、欠食児童に対して、野山にある草の根、木の実、わずかな収穫物を利用し、給食を開始したのです。(写真:岩手の教育物語 昭和史をつづる1000人の証言 上巻)
昭和9年−スライド15  一方、岩手の教師は、北方教育運動として生活綴方の指導に取り組みました。
昭和9年−スライド16  東北地方特有の数多くの冷害や、それに伴う社会状況など、現実の悪条件にも、ゆがまない、健康でたくましい生活者に育てること。そのためには、子どもたちを現実の生活の場に立たせ生活者としての意欲をもり立てていく。それが教師に「課せられた営為」であり、「教師の責務」であるとして北方教育運動に取り組んだのです。
昭和9年−スライド17  以上、昭和9年の教育状況の概要です。このような、岩手の現実を踏まえて取り組んだ、先人の不断の努力を記録に残し、学んでいくのが、岩手県教育史資料です。