49号コラム(2010.07.01)
『師の言葉』
 蛙の鳴き声があちこちから聞こえてくるようになりました。この季節には決 まって、亡き中学校の恩師、M先生と過ごした日々のことを思い出します。  先生は、国語の単元が終わると、そのたびに自分が考えたことを作文に書か せました。1年間も書きためた作文集は、かなりの厚さになったものです。そ うした生徒の作文の中から、先生はいろんなコンクールに積極的に応募させて いました。  2年生の時、幸運にも私の作文が某コンクールに入選したことがあります。 小学3年生から続けていた家の手伝いの風呂焚きの体験を綴ったものです。も との体験談を私が以前作文に書いていたことを覚えていた先生は、応募を勧め てくれたのです。  その作文指導を受けていた時のことです。自分ではこれで完成と思っていた ところ、読み終えた先生から、最後にもう一文を書き足してみては、とアドバ イスされました。  私はこの作文を書いたあなたがどんな所で生活をしている生徒かを知ってい るが、この作文を読んでくれる人には分からない。なるほど、この作文を読め ば小学生から薪を割り風呂をわかし、家族の役に立ってきたこと、その継続が あなた自身に心の強さをもたらしてくれたことは伝わってくる。けれど、あな たが日々どんな景色を見、どんな環境に生きているのかは分からない。都会と は異なる、この岩手の小さな農村でこのように考え生きている中学生がいるこ とも伝えられたらいいね、と。  それをたった一文で表現できるのか、思案に暮れながらその日も風呂焚きを していました。ふと、それまで気にも留めずにいた蛙の鳴き声が、盛んに耳朶 に響いていることに今更ながら気付いたのです。暮れなずむ家の周りの田んぼ で一斉に鳴く蛙の声、声、声。ああ、まさにこれこそ自分が今生きている場所 の声なんだと実感したのです。  私は作文の最後にこう書き加えました。 「今日も薪をくべながら、夕焼けの空にのぼっていく煙を見上げていると、家 の周りの田んぼから、蛙たちの鳴き声がいっそう高く聞こえてきました。」  さて、その作文の指導中でした。突然、M先生が、諭すようにつぶやかれま した。 「いがすか、けぇごさん、あんだぁ将来国語の先生にならいん。そして地元の わらしたづさおしぇらいね」  はたして予察どおり国語教師となれた身に、こうした師の言葉は、今でもし みじみよみがえってきます。  蛙鳴く山も青田もみな暮れて  (吾)
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