平泉文化遺産センターの方の話

「平泉にはどんな文化遺産があるのですか?


 奥州藤原氏が残した遺産が数多く残されています。その代表が「中尊寺」「毛越寺」「無量光院」ですが,そのような文化遺産が平泉には数多く残されています。


「世界遺産登録のきっかけとなった国指定遺跡『柳之御所遺跡』はどのようなものですか?


 柳之御所遺跡は奥州藤原氏が政治を行っていた場所です。柳之御所遺跡は平泉町に堤防を作る前の段階で発掘調査を行って,そこで奥州藤原氏が政治を行っていた,大事なところだということが分かりました。堤防を作るための調査だったので,そのままでは遺跡がこわされてしまうというじょうきょうでした。なのでこの遺跡を守ってほしい,できれば堤防を別な場所へうつして遺跡を守ることはできないかという「保存運動」がはじまりました。結果的には国で堤防の場所をかえて,柳之御所遺跡を残すというはんだんがされました。その「保存運動」が「世界遺産登録」への第一歩になったといってもまちがいはないと思います。


「特別史跡『無量光院跡』とはどのようなものですか。


 無量光院あとは奥州藤原氏,三代の秀衡が建てた寺院のあとです。宇治の平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう),十円玉の表に刻印されているあのお堂ですけれども,そこをモデルにしたと言われています。


「『無量光院跡』からどのような物が見つかりましたか?


 現在は当時の地形がよく残っています。ただ,ぱっと見るとなかなか分かりにくい状態ですので,かつて池があった場所に水をはって遺跡を訪れた方が,ここは大事な場所なんだと分かってもらうために「史跡整備」(しせきせいび)という作業を行っています。「史跡整備」を行う前に,ここの場所がどういうせいかくなのか確認するための発掘調査を現在行っています。

 たとえば建物の柱のあと,井戸のあと,道路のあと,トイレのあと(汚物などを投げ入れた場所)などが見つかっています。


「発掘調査をしている場所では,どのような作業をしていますか?


 かんたんには土をほって,土をけずるような事をしています。土の色のちがいによって昔の人が残したこんせきを探す作業をしています。遺跡というのは昔の人が生活をしていたあとですが,そういったものは自分から語りかけてはくれないので,発掘調査をしながら,どういった人々の生活のあとがあるのかを探す調査をしています。


「発掘作業中どのようなことに気をつけていますか?


 発掘調査は外で行いますので,暑いとき寒いときなど色々な天候の中で作業をします。働いている人たちがたおれないようにすること,けがなどがないようにすることが一番気をつけていることです。
 昔の人たちの痕跡はその土地その土地ごとに見え方がちがいます。なので機械的にほるのではなくて,この土地の中でどういった変化があるのかということを考えながら調査をしています。


「平泉のことを学ぶみなさんへ


 岩手だと旧石器時代や縄文時代からずっと人々のくらしが残されています。遺跡も数多く残されています。平泉も岩手の歴史を考える上で大事な場所ですので,ぜひみなさん一度「平泉」をおとずれて遺跡や文化遺産をはだで感じて下さい。