歴史記録映像      IPA教育用画像素材より
明治27年
日清戦争(にっしんせんそう)
1894から95年に行われた日本と清国との戦争で、甲午農民戦争(東学党の乱)を機に対立した両国が朝鮮に出兵、日本軍による豊島沖での清国軍艦攻撃によって開戦。勝利した日本は95年4月、下関条約を締結。映像は、日本海軍の海戦に加わる艦船のようす。
明治37年
日露戦争(にちろせんそう)
1904年2月から翌年8月まで満州・朝鮮をめぐって対立した日本とロシアが対戦。日本軍は旅順攻撃、奉天会戦、日本海海戦で勝利。米大統領セオドア=ローズヴェルトの仲介により終結、9月にポーツマス条約を締結。映像は、東郷提督と、日本海海戦のようす、出兵を見送る人々。
明治38年
日本海海戦(にほんかいかいせん) 1905年5月27日、司令長官東郷平八郎の率いる連合艦隊がロシアのバルチック艦隊と対馬沖で対戦。ロシア軍は壊滅的な損害を被り、28日に降伏、日本海海戦は終結した。映像は、日本の連合艦隊の海戦のようす。
明治38年
ポーツマス条約(じょうやく)
1905年8月、米大統領セオドア=ローズヴェルトの斡旋により、日本の小村寿太郎、ロシアのウィッテ両全権がアメリカのポーツマスでの日露講和会議に出席し、9月にポーツマス条約を結んだ。映像は、パレードする日本代表団、ホテルと会議場が対岸にあるため船に乗込む代表団。
明治41年
東京中央停車場(とうきょうちゅうおうていしゃば・東京駅(とうきょうえき)建築開始(けんちくかいし)
東京中央停車場として辰野金吾の設計により明治41年から建築工事が始められ、大正3年に完成。ルネッサンス様式によるレンガ造りの設計は明治期の洋式建築の頂点を究める。空襲で焼失したが昭和29年再建され、東京の表玄関として現在も活躍している。
明治43年
航空機(こうくうき)の時代始まる
1911年アメリカ人飛行士マースが複葉機で日本の空を初めて公開飛行した時の映像。日本初飛行は1910年12月、日野熊蔵大尉の乗る代々木練兵場での単葉機。
大正3年

第一次世界大戦(せかいたいせん)
1914年、ドイツはロシアに宣戦し、フランスに対して戦闘を開始した。イギリスもドイツに宣戦し、戦乱は全世界へ広がり総力戦となった。映像は、ドイツ軍、砲撃、陸戦などの、総力戦となった戦場のようす。
大正7年
第一次世界大戦(せかいたいせん)終わる
1918年11月、第一次世界大戦が終わり、勝利を祝うニューヨーク市での米軍と喜ぶ米市民。映像は、ニューヨーク、紙吹雪、踊る市民、凱旋行進する米軍。
大正8年
大正時代(たいしょうじだい)の東京
この映像は、大正時代の東京、日本橋、浅草のようす。街には市電が通り、浅草の六区には映画館等が立ち並び、賑わっていた。
大正9年
国会議事堂(こっかいぎじどう)
国会議事堂は我が国最高の立法府。白亜の殿堂の建物は大正9年から昭和11年までの17年をかけて完成。中央塔の高さは65.5m。向かって左が衆議院、右が参議院。近くには首相官邸、内閣府、議員会館などがある。
大正12年

関東大震災(かんとうだいしんさい)
1923年9月1日午前11時58分、マグニチュード7.9の大地震が関東一帯を襲った。続く大火災により東京の7割、横浜の6割が焼き尽くされ、都市機能は完全にマヒ。映像は壊滅状態の東京市街、ひび割れた道路、設置された臨時郵便箱。
大正12年
関東大震災(かんとうだいしんさい)からの復興(ふっこう)
大地震の影響で津波による災害も加わり、死者・行方不明者は約14万人、被災者は340万人という大惨事へ。大混乱のなか2日には戒厳令がしかれ、12日には帝都復興に関する詔書公布。この映像は、横浜駅での被災者を乗せた救援列車。